9月19日
9月16日は安室奈美恵が引退する日、奇しくも、大学の同窓会が京都で開催されるため、高校の修学旅行で巡った大原を散策してきた。高校の有志は、還暦の年に、二度目の修学旅行として、訪れていた。15日の夜行バスで京都に向かった。朝6時に京都駅着、そのまま烏丸線で国際会議場まで行き、市バスで大原に向かった。京都では、地下鉄・バスのフリーパスが発売されており、一日券は900円、二日券は1700円です。是非購入してみてください。まだ紅葉には早いのですが、彼岸花が石垣の上に咲いていて、季節を表していた。三千院は三回目になるがいつ来ても心現れる。大原から2kmのところにある小地谷の阿弥陀寺に行ってきました。朝飯と昼めしを食べないで来たので、熱中症になりそうでした。途中、4人の男性とすれ違ったが、時間からして大原から歩いて小地谷に向かったもの好きは、それくらいだったということだろう。やっとのことで、寺の入り口まで来ると、二人の女性が休んでいたが、バスを待っていたのだろう。さらに、70~80mの登りが待っていました。大原行のバスが12時44分にあるようだが、時は12時15分あきらめて帰りもあるきと決めた。上の方寺の近くは、先日の台風21号で、かなり斜面の土砂が崩れていました。寺にたどり着くと、これも修行といわれました。午後2時過ぎに、大原につくと、天ぷらそばを食べたが、おいしくなかった。早速、寂光院に向かった。帰りのバスは、午後3時1分の国際会議場行き。バスターミナルから、100mぐらい行ったところの土手にマムシに注意の看板があった。poisonous
snake と併記したほうが良いかも。 寂光院も修学旅行で来たところだが、記憶に残っていない、粗末な公衆トイレがあったことは覚えている。寂光には、平成12年5月9日に、火災にあって全焼しています。その後、平成17年に建て直された、犯人はわからずすでに時効が成立している。そう考えると、ちょっとありがたみに欠ける。高校の修学旅行で、400人余りの高校生が、往復30分掛けてパス駐車場から歩いたのだろうか。とにかく、マニアックな先生がいて、修学旅行で来ない寂光院を選んだのだろう。とにかく、バスに間に合った。大原まで来る外人は少ないようだ。夜は、割烹ちもとで同窓会。
9月17日は、飲みすぎでお疲れ。午後9時30分にビジネスホテルを出発。銀閣を最初に拝観予定であったが、予定変更、知恩院からのスタートとなった。知恩院の石段は一段の高さもあって疲れた。知恩院は拝観料を取っていない。太っ腹。それにしても広い、本堂は改修中。それから、隣の青蓮院を見る。平安神宮前の神宮道というバス停は、反対車線の同名のバス停がないちょっと変わったバステイダ。結局平安神宮大鳥居のバス停まで歩く。そこから、バスに乗って銀閣寺前まで移動。銀閣寺は境内からすれば、とても狭いといえる。しかし、本堂にはわびさびを感じ、その狭さが質素を反映していて微妙な趣をなしている、順路の展望台からの眺めは圧巻である。門を出たところの、蕎麦屋で昼食。哲学の道を歩くが、果たして、多くの外国人たちが、哲学を感じながら歩いているのかと不思議な気持ちになった。途中で、白い彼岸花を見た。哲学の道をそれて、坂をのぼったところに法然院があるが、なんと、落語の講演会があるとのことで、拝観もできず御朱印ももらえなかった。坊さんも毎日元気でいるとは限らないか、残念。永観堂は、高低差のある境内で境内は風情があった。最後に南禅寺にいったが、三門はそのスケールに圧倒された。となりの南禅院は、何全員の亜負けみたいなところで、300円の拝観料は少し高すぎるか。午後4時30分、少し空模様がおかしくなってきた。地下鉄蹴上駅まで急いだ。京都駅に戻って、晩飯を野菜多めちゃんぽんを食べて、リムジンの時間午後10時8分まで時間をつぶした。さすがに、京都は外人が似合う。
8月6日
今日は何の日か・・・、広島に原爆が投下された日です。午前8時15分のことです。核兵器使用禁止条約に参加できない我が国の立場は、悲しいものがあります。アメリカの子分となって、その政策にノーといえない日本には外交の未熟さを感じます。
8月2日
東京医大の入試で、女子の受験生の点数を減らして女子の入学者数を操作していることが内部からの告発で分かってきました。女子は医者になってもすぐ結婚してしまうので、持続して戦力にならないというのが理由の一つでした。以前からそのようなことがあるだろうと言われていたことですが、過去にさかのぼってどうするのでしょうか。地方大学の、地域枠みたいなことですが、文部科学省の見解では、あらかじめ、男女の間に男子入学者の優遇を周知してあればみとめられることのようですが、そのようなことを募集要項に記載してある医科大学は東京女子医大をのぞいてはないと思います。医科大学入学の男女比というものがありますが、おそらく極端な操作をしていないと思われる、東京医科歯科大学の58:42位に落ち着くともわれ、女子の比率が40を切っているところは、何らかの操作をしているのではないでしょうか。現代社会では、男女も差別を作ることは許しがたいことです。医学部の学生でよく勉強して成績がいいのは女の子が多いのです。しかし、外科系の医者の関していえばに関していえば、男の医者がより多く必要で、資質から言っても男のほうがすぐれていることが多いと思いますが、センスの問題でしょうか。
7月30日
医学部の裏口入学。おそらく、合格点に何点足りないから、入学にあたって、いくらの寄付金を収めるようにといった行為、これまでずっと行われてきたと思う。しかし、ある程度の学力がないと卒業できないし、国家試験にも合格しないのです。
7月26日
それにしても熱い日々が続いています。熱中症にならないように気を付けましょう。今年の阿波踊りは、総踊りが中止されるみたいです。市長の意向だそうです、この暑さだからこそ、熱中症にならないようにして、規模をさらに拡大してやるべきではないでしょうか。
7月18日
平成30年7月の豪雨は、甚大な被害をもたらしました。特に、上水道給水施設への被害は甚大で、復旧に一年以上かかる地域もいあるそうです。水がなければ、土砂を洗い流すことさえできず、ましてや、水がなければ生きて行けないので、集団して移転する事になるでしょう。この大雨を、天災と呼ぶべきか、しかし、半分は人災と呼ぶべきだはないだろうか。これから、毎年、異常気象による災害が起きるのではないでしょうか。無駄な国会議員を増やしたり無駄な防衛設備を作ったりする予算があれば、今は、天災に強い国土作りに予算を投じるべきではないでしょうか。国会議員を大幅に削減して、水害へ被害にあって進学をあきらめようとしている若者の教育資金にしたらどうだろうか。
7月4日
今年も、50年に一度の言葉がマスコミを騒がせている。復旧に一体いくらかかるのだろう。馬鹿なトランプに踊らされて、実戦でミサイルを打ち落としたことのないイージスシステムを購入させられて、挙句の果てに、米朝会談で日本にはもうミサイルは来なくなった日本は喜んでいると、自慢げに演説するトランプ。北朝鮮の非核化の費用は日本と韓国に払わせる。これで、馬鹿なトランプがノーベル賞なんぞもらったらその賞金は、日本と韓国にいただきたいものである。無用の長物となるであろうイージスシステムはキャンセルして、今ある、災害の復興に使うべきだはないだろうか。南海トラフの大地震が起きると、一夜にして、日本はGDP世界三位の国から、普通の国に転落するのである。防衛予算の戦備に費やされる多くが、防衛産業に携わる企業やアメリカの言いなりになって支払われていることに、国民は文句を言うべきではないか。
7月3日
7月3日未明の日本vsベルギー戦は、見事であった。第二ピリオドロスタイムにはいって、最後まで攻め続ける日本。球回しして、延長突入と考えた人は私だけではなかっただろう。コーナーキックから、ベルギーの速攻、それを予想した人も少なかっただろう。あっという間にお幕が下りた。ベルギーは、明らかにその戦略を練っていた。キーパーは球をけることなく、前に走りだしペナルティーエリアぎりぎりで勢いをつけた球を正確に前に投げた。日本には、その球を追いかける力は残っていなかった。その時点で、勝負はついていたのだろう。しかし、よくやった。ポーランド戦の汚点を晴らすに十分な頑張りであった。アジア勢として、決勝ラウンドに出ることに、大きな意義があったと思う。
6月29日
昨夜、いったいどれ位の人が、サッカーの試合を見ただろうか。日本vsポーランド。なんとも後味の悪い試合であった。決勝ラウンドに進めることにはなったが、その戦い方はフェアープレイにほどほど遠いものであった。これまでの戦い方が、フェアープレイに値することが評価されて、決勝ラウンド進出したのだが、最後の戦いは、それを打ち消すものであった。ひょっとして、サッカーワールドカップの歴史に、語り継がれる汚点を残したことになるであろう。セネガルの代表監督アリュー シセは、試合のルールとして納得しているという態度は立派である。
6月28日
昨日、宇都宮医師会館に行く用があって居てきました、玄関わきのコンクリートの壁に燕が巣を作ていたようですが、強度不足で巣が地上に落ちてしまったようです。すでに、ひなは死んでしまっているようです。親ツバメは、巣のあったところを何度となく、飛び回っていました。当医院の、燕たちは順調に育っているようです。少なくとも、三つの嘴が確認されます。何度となく、えさを運んできます。東京目黒区で虐待を受けたとされる船戸結愛(ゆあ)ちゃん(5)の虐待殺人事件、そのノートの残された言葉が頭を離れません。もうわるいいことはしないから、ゆるして。あなたは、何も悪いことはしていません、周りの大人たちが悪いのです。多くの人の心を打ち、大きな反響を引き起こしています。親はいったいどんな心を持っていたのでしょうか。男親にとって、彼女は自分の子供ではなかったもではなかった、そして自分の男の子が生まれた時、血縁の無い女の子に虐待が始まる。母親は何と思っていたのだろう。こいつらは、燕以下だと思います。そして、行政の態度の冷たいこと、マスコミの前で会見をして頭を下げていますが所詮は他人事と思っているのでしょう。
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